設計事務所とは何をしてくれるところなのかよくわからないと思います。わたしたちが考えていること下にをまとめてみましたので、長くて読みづらいかもしれませんが、お付き合いいただけましたらうれしいです。
ハウスメーカーやビルダーがかなりの割合で戸建て住宅を建てている印象があると思います。少し古いですが約10年前のデータによると、在来工法の木造戸建て住宅のうち、年間に10棟未満を手掛ける工務店や大工さん等がつくる住まいの割合は3割程度もあるのです。さらに年に50棟未満を施工する規模の会社が手がける割合になると、全体の60%程度にも達しています。
このように我が国では、いわゆる木造住宅は地域レベルでつくられている(きた)といえ、それが経済や資源の循環、技術の継承、風景やまち並みの形成に寄与できる、理想的な姿なのでしょう。だからといって現在、地域の材料やつくり方で地域色豊かな木造住宅ができているわけではありません。たとえば新しい住宅地の風景、その多くは、タイルや石や木を模したカラフルなサイディング外壁、軽量素材を用いた屋根材に代表されるように、日本全国に流通する材料を使った同じような家の連続でできています。本来は、どこにいっても同様な住宅地の景色が広がっていること自体とても奇妙なことのはずです。一方同時に、広大なアスファルトの駐車場を備えたコンビニや郊外型の大規模店舗、ショッピングモールなども、地方共通の風景として今や当たり前で、それらの内部にも地域に根差した物品を扱う店舗などはほとんど見られませんが、それも正常な姿とはいえないのではないでしょうか。
地域の素材や技術で住まいをつくる。そんな当たり前だったやり方で地域の風景をつくり、住まい手の暮らしにうるおいや誇りを取り戻せたらうれしいな、とわたしたちは考えます。
ここ、つくばも変わりました。吾妻、竹園など豊かな緑とゆったりとした配置の低・中層の公務員宿舎は、高層マンションや小割りにされたどこにでもあり得る住宅地にとって代わられつつあり、つくばならではの光景は今や、公園や研究所以外では、中央分離緑地帯と街路樹のある片側2車線の道路から見上げる空しかないような印象です。国によってつくられた、人工的で、ある種ドライな良さのあったつくばが、商業ベースの考え方でつくり直されて個性のない普通のまちになりつつあるのです。
ある時代に開発され当時流行のスタイルや材料でつくられた住宅団地とは、後からみると、外観の特徴からいつごろつくられたものかはわかりやすいですが、時間の経過とともに確実に時代遅れで古いスタイルとなり、そしてメンテナンスやリフォームを怠れば、建物自体が団地全体で同時に寿命を迎えてしまうという、まち並みにとって致命的ともいえる問題につながり、それはそこに住む人々の精神衛生にも重大な影響を与えてしまうのではないでしょうか?つくばらしい宅地開発のあり方が問われるべきだと思っていますし、わたしたちにできることを模索しています。
まちづくりにおいて個々の建築家(設計者)のできることは限られています。それが例え15組のグループになったとしても社会全体から見れば大差はないかもしれません。ただ、そこに住む住民の一人としてこれからの風景に危惧や違和感を覚え、少しずつでも個々の仕事を通し、魅力的で豊かな環境をつくっていくことに意識的であり続けることは、意義のあることと考えています。小割りにされて与えられた平均的で履歴や特徴の消された土地に、最大公約数的で地域性のない住宅を建てることで、豊かな住環境がつくれるとは思えません。何故なら住宅地の開発で問題になるのは、駅からの距離や周辺環境の利便性としての価値のみであり、上物としての住宅はメーカー主導の地域性に乏しい器を配置するだけ、そして想定されているライフスタイルも個々の実態に即したものではないのではと思えるからです。住宅の集合が自らのまちをつくると考え、住まいづくりの主体や論理を、住まい手参加型(=住まい手の選択肢をなるべく多くすること)に多少なりとも移行することができれば、まちづくりは人任せにはできない関心事になるような気がしています。わたしたちはそのためのお手伝いをしていきます。
住宅単体の性能などに目を向けてみましょう。現在、住宅の性能表示化が進み、明示された断熱性や構造性能、家電など機器自体の効率等は、数値的な性能を担保しています。また、法律は地震や事故によって見直され強化されるのが常だということを考えれば、現在の基準に割り増した性能を与えておかなければ、住宅を長持ちさせればさせるほど、時代に合わないものになってしまいます。したがって次世代を見据え1ランク上の住宅性能を確保しておくことは、理にかなったことといえます。
このように、勘や習慣でつくられていたともいえる一昔前の木造住宅と比べて、明らかに法律の整備は進み、住宅やつくり手における最低限レベルのかさ上げの目標は達成されつつあり、片やゼロエネルギー住宅等、住宅本体の高性能化はどんどん進んでいます。しかし反対に数値化の難しい部分はどうかといえば、退化や絶滅の危機にあるように思えてしまいます。それらは木を始めとする素材を見る目、素材を扱う技、隣家への配慮、素材を含む住宅への理解、言い換えると、古くからの技術や職人(=伝統)、文化、景観、倫理感などであり、いったん失ってしまうと取り戻すことが困難な、そしてメーカー等では対応がしにくいという性質のものごとです。メーカーや大企業の論理から自由でいられる設計者なら、数値化からこぼれ落ちてしまう性能以外の部分への配慮もしやすく、建て主さんの家づくりへの参加も容易です。新築棟数日本一などの記録には残らなくても、建て主や職人さんを含む技術者が前向きに参加することで記憶に残る家、地域材を用い、まち並みを構成する意識でつくられた風景に残る家、ライフスタイルの変化や世代の変化を許容できる仕組みを持った次代に残る家など、継承し伝えていくといった視点を持ち続けることが、数値化のできないものごとの存在(=本当の豊かさ)を、正当に評価できるのではないでしょうか。わたしたちは、本当に豊かなくらしとは何かを問い続けたいと思います。
住まいづくりにおいて、建築家(設計者)はどのように位置づけられ、またどのような存在に思われているのでしょうか?建築家が設計する住宅は、完全な自由設計なので一品生産物や特殊材が多くなり建築費用が割高になる、メーカーの場合には研究開発経費の中に含まれていて表には出ない、設計・監理料が表面化するため割高感につながる、人のお金を使って恣意的なデザインにこだわる人たち、金融機関やローンプランの紹介などのお手伝いをしてくれない等々、否定的な意見もあります。まずは、否定的な見解に耳を傾け欠点を改善すべく努めていきたいと考えます。たとえば自由設計の中でも、部品や部材の統一化を図り無駄をなくす、仕上げ材や機器類に優先順位をつけてコスト削減を図る。施工者の得手不得手を理解して対案の検討を行うなど柔軟に現場対応する。説明ができ、より効果的なデザインを心掛ける。仲間を通じ金融機関に関する情報を収集し紹介できるようにしておくなど、地道な活動を通して、少しずつでも社会的な信頼を勝ち得ていければと思います。
一方建築家に設計を依頼する場合のメリットにはどんな点があるでしょうか。ひとつは、法令や予算以外の制約が全くなく、どんな構造や仕様、工法や材料の選択もできる、完全に自由な設計が可能なことです。様々な家族のライフスタイルや敷地、周囲の環境に合わせた設計を、理論上はゼロからスタートすることができます。(ただ実際には、設計者にも得手不得手や、各々に設計思想があります。)それから、メーカーの○○プランを当てはめるのが難しい、狭小地や変形敷地、高低差のある場所では、オプションにするといきなり高額になってしまうことの多いメーカーよりも、自由設計の方がコストパフォーマンスの高い住宅を作りやすい場合があります。そして何よりも、メーカーや工務店がハードウエアとしての「住宅」をつくる傾向があるのに対し、建築家の場合は、詳細な打合せを経て、家族の生活にふさわしい場所をいかにつくれば良いかという視点で設計・施工が行われるといった特徴があります。
いわば暮らしを楽しむためのソフトウエアを提供するための「住まい」や「家」をつくるという感じです。風雨や地震に耐え、夏涼しく冬は暖かい住宅というハードウエアをつくることはもちろん大切なことですが、それぞれの家族の暮らしを受け止めるための工夫や細やかな配慮の積み重ねを建て主や作り手と共有することが、記憶に残りそして愛着のわく住まいをつくるための鍵になるのではないでしょうか?そのためにわたしたちはがんばりたいと考えています。